地かつら老田

「地かつら」の素晴らしさを現代に伝えると共に「かつら岡米」の技術を守り続ける

岡米かつら

戦後の復興 その3

2018/01/26

それから、自然のかつら、劇場用でないかつらは岡米という評判となり、当時の映画スター、歌手の結婚式のかつらはほとんどといってよいほど岡米でした。名前を挙げればきりがありませんが、山田五十鈴さん、山本富士子さん、岡田茉利子さん、高千穂ひづるさん、芦川いづみさん、江利ちえみさん、雪村いづみさん、有馬稲子さん、星由里子さん、中原ひとみさん、ミス日本の児島明子さんにもご使用いただきました。
 歌舞伎界でも、中村芝翫丈の奥様のお世話にて、中村歌右衛門丈、中村雀右衛門丈などの御曹司、幸四郎丈、勘九朗丈、団十郎丈、吉右衛門丈、福助丈、橋乃助丈の花嫁様のかつらを造らせていただきました。
 昭和三十五年、アメリカでのかつらの流行を知り洋髪かつらの輸出を始めました。輸出用の桂は十把ひとからげで、数さえこなせば良いという仕事でしたから、私は納得ができず若いものに任せていました。
そのうち“他はせずにウチだけやってほしい”などと相手が要求してきます。金額は上がるが、よく検討してみると採算が合いません。さらに、昭和三十九年頃から悪条件が重なるように材料費が値上がりしましたので、昭和三十九年には輸出用のかつらは、すっかりやめました。
 輸出用のかつらは、手で植えるところをミシンで縫うことになるのですから良い品物はできませんが、アメリカの科学の進歩は目覚しく、毛をやわらかくしたり、着色したりする処理技術は素晴らしいものがありました。確かに合理的な点は、これからの時代に受け入れられることになるのでしょう。しかし、ミシンには心がありません。化繊の糸も本物の毛と見間違うほどの品が出てきましたが、風合が違います。“風合だ”“心だ”とこだわり続けることは贅沢なことなのでしょうか。
 今の若い方々は、さまざまな贅沢を経験しています。そのセンスの良さ、コンピューターなどの最新技術で、必ず良いもの、日本人に合う心のある新製品を生み出してくれることを期待しています。


(左)昭和31年10月、記録映画の中での6代目歌右衛門丈
(右)昭和31年10月、映画に出演した梅幸丈

-岡米かつら