地かつら老田

「地かつら」の素晴らしさを現代に伝えると共に「かつら岡米」の技術を守り続ける

岡米かつら

戦後の復興 その1

2017/12/22

復興の槌音が鳴り始めた頃、借りていた”ゑり治”さんの土地が他人の手に渡っていました。とすると、私の他所もなくなってしまうわけですから仰天し、十年前から借りていることを理由に裁判にもちこみ、その結果、土地を買わせていただきました。
 お店は無事守ったものの、どうして生きていこうかという時代です。私にはかつらしかないのですが、それも材料が手に入りません。一年ほど他の人にお店を貸していた事もありましたが、そのうち有名な美容院の先生方が次々に立派なお店を開くようになり、美容院の再考と同時に岡米を再開。地方からの注文も舞い込み始めました。
 戦後最初の芝居は、進駐軍に接収されていた、アーニーパイル(現東宝劇場)で、歌舞伎とミュージカルを合わせたような舞台の東宝芸能の仕事だったと記憶しております。その他では、帝国劇場での「真夏の夜の夢」など、菊田一夫先生の数々のお芝居のかつらも作らせていただき、武智鉄二先生の独創的な新しい演出による武智歌舞伎にもおつきあいさせていただきました。戦後の少ない材料の中、一生懸命に芝居の出し物に合わせたかつらを制作して納めていた事が思い出されます。
 その後は、花嫁用のかつらが広まったに触発されたのか、一般にもかつらが浸透し始め、神武景気と歩調を合わせるように、昭和三十年代に入って隆盛の度合いを早めたようでした。
 この頃は、新橋の芸者衆による「東をどり」が盛大に開催されておりました。初は四月一日から二十五日まで、秋は十一月一日から二十五日まで、銀座の六丁目と七丁目の間の新橋演舞場へ向かう道の両脇には、ボンボリが立ち並び、春は桜、秋はモミジが美しく華やかなものでした。
 この「東をどり」のかつらを作るのに、一か月前に頭合わせをして、数百枚を作ります。「東をどり」初日の開く一週間前には納めなければなりませんでしたから、私ばかりではなく従業員も目を三角にして仕事をしておりました。特に秋は、お正月のかつらと重なって忙殺されました。地方の方でもみなさん、大切なお正月を迎えるためにかつらをきれいに結直したり、新規に作ったりしましたので、一時期はお正月までかつらのケースがいっぱいにあふれ、店に置き場がなくなり、やむをえず天井に梁を通して、地方別、あいうえお順に並べておきました。もし、こんなときに地震が来たら…などと真剣に考えたものです。
 また、昭和三十四年には、東京かつら協会会長だった小林かつらの小林良太郎さんを中心に、関係者全員で王子神社の境内に関神社を作りました。


昭和34年、王子神社の境内に設立した関神社

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