地かつら老田

「地かつら」の素晴らしさを現代に伝えると共に「かつら岡米」の技術を守り続ける

岡米かつら

ネットの開発 その2

2017/11/28

さらに、かつらに求められることは自然感だけではありません。耐久力や実用性にも優れていなければ、お芝居で使用する役者さんはもちろん、一般にまで浸透していくことは不可能です。自然感、実用性、耐久力が備わってこそ、私が追い続ける岡米かつらなのです。
 
 先駆者となるためには、一朝一夕ではすみません。未到の大地にひとりで戦いを挑むのと同様、長い年月がかかります。私の場合も、ネットや地肌の部分に数年間かかりましたが、何とか納得のいく商品が出来ました。このかつらで、四谷怪談のお岩さんを手がけた時は、あまりにもリアルで、まるで本物のようで気味が悪過ぎる、といわれたことさえあって、注意を受けたにもかかわらず、私は自信をつけたものでした。
 
 昭和六年か七年頃、新派のお芝居で花柳先生に新しいかつらをかぶっていただきました。はじめ先生は横を向きながらあまり気にもとめられない様子。でも鏡を見ているうちに「これからは、みんなこれにしてくれ」と気を良くされました。さらに、井上先生から「君のかつらは自分の毛を使っているのか」と聞かれるに及び、花柳先生はこの上もなく喜んでおられたものでした。
 
 役者さんの周囲はいつも華やかで、芸者衆がたくさんお見えになりました。ここでも花柳先生のかつらは大評判。芸者衆が「かつらって、私たちも使えればいいわね」と言われた際に一瞬ひらめくものがあり、注文を受けて、芸者衆のかつらを制作するようになりました。
 
 芸者衆が、かつらを買うようになったのは、毎日の髪結いが大変だったからです。当時、新橋の芸者さんであった中村喜春さんが後の著者の中に書いていらっしゃるように、短時間で美しい日本髪へと変身できるかつらは、みなさん大変重宝しておられるようでした。
 
 また、当時私は、花柳先生の専属のようでしたから、花柳先生にお願いすれば”岡米の新しいかつらが手に入る”と考える方が多く、花柳先生からお客さんをたくさん紹介していただきました。最初は「また、お客さんだぞ」と言っておられた先生も、私が東京だけではなく、名古屋、大阪、芦屋と出かけ、留守がちになった頃からは半分冗談で怒られたりしました。しかしそれも新しいかつらを気に入ってくださった証とばかりに嬉しく思ったものです。


ネットに改良された新かつらをかぶる花柳先生(昭和6~7年)

-岡米かつら