地かつら老田

「地かつら」の素晴らしさを現代に伝えると共に「かつら岡米」の技術を守り続ける

岡米かつら

平和博覧会

2017/11/14

関東大震災から心機一転、新たなかつら造りに励んでいた大正末期、上野・池之端で開かれた平和博覧会に出品するチャンスが訪れました。

 それまでの岡米かつらの特長は、生え際に黒い綿の網を使用し、自髪を出して結い上げるといったもの。今回は、これ以上のかつらを造りたいということで、さらに薄く自然な網を研究しました。苦しい日々が続きましたが、出来上がった時の喜びは言葉で表現できないほどでした。平和博覧会のかつらは、たちまち評判になりました。今まで、かつらというのは花柳界や芝居演劇で使用するものだと思われており、一般の方は、かつらを近くで見るのが初めての方も多く、自然で実用的な耐久性のある岡米かつらを見たときは、さぞ驚かれたことと思います。

 また、今でこそ花嫁かつらは当たり前ですが、当時は自髪で結い上げるのが普通でした。最初に花嫁のかつらが注目を浴びたのは、私のお客様で、住吉に住むある会社社長のお嬢様の結婚式からです。お式の方は洋式で、お色直しに文金高島田を結われました。そのあでやかな文金高島田の花嫁姿にご列席の方は感嘆され、と同時に着替えも含めて二十~三十分という短時間でなぜ仕上がるのか不思議がっておられました。

 この変身ぶりは、新聞にも掲載され、花嫁かつらは日本中に広がっていきました。花嫁かつらのエピソードには、昭和二十二年の雑誌ソレイユに書かれた花柳先生の文章がありますので引用させていただきます。『岡米製作にかかる地あたまは大正後期、欧州大戦終結平和博覧会へ出品した。その結髪をしたのが、現在でもわたし附の床山、宇佐美豊次である。そして一般に供覧させた。』

-岡米かつら