地かつら老田

「地かつら」の素晴らしさを現代に伝えると共に「かつら岡米」の技術を守り続ける

岡米かつら

銀座へ進出

2017/11/28

 私は、子供の頃から銀座が大好きでした。街には、新しいもの、舶来の品が豊富に並び、流行の先端だったからです。ですから、いつかは自分の店を銀座に持ちたいという憧れを抱いていました。

 そんな折り、現在の「主婦の友」の前身である「すがた」という雑誌の編集長が銀座・松坂屋の近くに六十五銭の家賃で二階を貸す店があることを教えて下さり、昭和五年、ついに銀座に店を持つという夢が実現しました。ただ、私のかつらは二階に並べるだけでは仕方がありませんので、1階のショーウインドーだけで、制作していたのは浅草でした。さらに、この編集長には、大変お世話になり、「主婦の友」創刊号の広告欄で岡米を紹介してもくださったのです。
 
 当時、私は、平和博覧会で好評を得たにもかかわらず、営業的なことは全く行っていませんでしたから、この広告の反響はものすごく、全国の髪でお悩みの方々からお問い合わせが殺到しました。

 そこで、「はり毛」と「のり」を作って、地方の方でもご自分で髪の薄い部分に貼り付けられるようにしました。より本物らしいものを、ということでかもじ屋さんと随分研究した記憶が残っています。
 
 銀座のお店を出してからは、浅草と銀座を行き来する日々が続きました。浅草にいて”銀座の店にお客さんだ”という知らせが入ると、浅草のお店から道具箱を持ってポンポン蒸汽でかけつけたものです。
 
 当時は、浅草の吾妻橋下から、現在の新橋センター二号館の横、アーバンホテルの横出口あたりが新橋の乗降口でしたので、雷門から銀座七丁目まで直通の市電よりもポンポン蒸汽の方が速かったのです。

-岡米かつら